地の利は人の和に如かず
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前回の王者フランスと世界最高峰のプレーヤーと称されるリオネル・メッシ選手率いるアルゼンチンが激突した今年のワールドカップ(W杯)カタール大会決勝は稀に見る名勝負だった。
私も深夜3時過ぎまでテレビにかじり付いてアルゼンチンの勝利に歓喜したひとりだ。サッカーはなぜか人々の血を沸き立たせて、ナショナリズムが剥き出しになるゲームである。
調べてみたら、諸説あるサッカーの起源の中にいかにもぴったりなイングランド説というのがあった。8世紀頃、サクソン人(英国人)がスカンジナビアから攻め込んできたデーン人を打ち負かし、切り取った敵の将軍の首を蹴飛ばして勝利を祝ったという説である。
想像しただけでも血生臭く残酷な話だが、当時の男たちの荒々しい勝利の雄叫びが聞こえてくるようで心が躍る。伝説はこうでなくてはいけない。そういえばサッカーボールの大きさはちょうど人間の頭ぐらいではないか。それと比べれば、2006年のベルリン・ワールドカップ(W杯)決勝戦で起きたフランス代表主将ジネディーヌ・ジダン選手の頭突きなど可愛いものである。
じつは2006年のベルリン大会では、お祭り騒ぎに終始した日本のメディアが報じなかった重要な出来事があった。それは主催国ドイツでの愛国心の復権である。ナチスの残虐行為という重い歴史を背負ったドイツでは、愛国心はそれまで「汚い言葉」とされてきた。極右の軍国主義を想起させたからだ。
しかし2006年W杯では老若男女が祖国の国旗を誇らしげに振りながらドイツ中を練り歩くことができた。その光景を欧米のメディアは「ドイツが第二次世界大戦での敗戦から半世紀以上かけてようやく”普通の国”に戻った」と伝えていた。
イタリアに敗れたドイツチームは準決勝で姿を消したが、ドイツ国民はW杯開催を契機に名実ともに国の誇りを取り戻したというわけだ。それは1936年にヒトラーがナチスのプロパガンダとしてベルリン・オリンピックを開催したのとは違い、国民が歴史の重圧から開放された瞬間でもあった。
羨ましいかぎりである。なぜなら同じ敗戦国である我が国では愛国心はまだ「汚い言葉」のままだからだ。現地であれほど「ニッポン!ニッポン!」と絶叫し、日の丸を振り、君が代を口ずさんでいた日本人が、ひとたび国に戻れば国旗や国歌にソッポを向く。そのくせ北朝鮮にミサイルを発射された途端に,政府もメディアも国民も慌てふためいて国防を語り、先制攻撃もやむなしなんて物騒な議論まで噴出する。
北朝鮮の度重なるミサイル発射やウクライナ戦争、中国の台湾侵攻リスクなどを背景に、永田町では国防を巡って増税の議論が喧しい。しかし岸田政権の対応は軸の曲がったコマのようにふらふらしていてじつに心許ない。
過去の克服と国際協調にゆれたドイツは、冷戦の終焉とともに一国主義から多国間主義にシフトし、非人道的行為を阻止するためには同盟国としての責任を果たすという選択をした。その決断の背景には政策を支持する国民と、ようやく取り戻し始めた祖国に対する誇りと愛国心があった。
日本はどうか。公開された最新の世界価値観調査によれば、「国のために戦いますか」という問いに「はい」と答えた日本人はわずか13.2%と世界79カ国中最低だ。ちなみに米国は59.6%、英国は64.5%、ロシアは68.2%、デンマークは74.6%。いちばん高かったベトナムは96.4%だった。
敗戦後、徹底した反戦教育がなされ日本国憲法が他国の憲法にない戦争放棄条項を有しているからだろうか。それとも考えることさえ諦めているのだろうか。日本は「はい」が一番少ないだけでなく、「わからない」という回答が38.1%と世界でもっとも多かった。
平和願望が強く、しばしば世界一幸せな国と呼ばれるデンマークで「はい」が7割強と高いことに驚かれた方がいるかもしれない。その理由は、ナチスドイツの侵略など度重なる領土争奪戦で多くの犠牲を払った同国では「国土や国家を守るのは自国民しかない」という国民の共通意識が育まれたからだ。それがお互いを助け合うという社会福祉政策の精神的支柱にもなっているのである。
目先の増税議論も結構だが、デンマークのように国民が自国に誇りを持ち平和を守れる政治を実現する長期的ビジョンがいま最も重要なのではないか。
「愛国心とは一時的な熱狂的感情の発露ではなく、人生を通した穏やかで安定した献身である」と、米国の政治家アドレー・スティーブンソンは語っていた。保守主義の神髄だろう。
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