南アフリカ 栄光の背番号6
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日が暮れて肌寒い秋風が吹きはじめた横浜国際総合競技場に集まった7万人超のラグビーファンは、刻一刻と近づく南アフリカW杯優勝の瞬間を固唾をのんで見つめていた。その中に、誰よりもこの勝利の重みを知るひとりの人物がいた。
南アフリカの元主将フランソワ・ピナール氏だ。50歳を超えて髪は薄く眼差しはすっかり柔和になったが、身長約2メートル、体重100キロ超と現役時代を思わせる存在感に圧倒される。じつは強豪イングランドとの決勝戦の数日前、私はピナール氏と会食を共にする機会があった。驚いたことに、彼はその時すでに東京大会での南アフリカが優勝し「ラグビーというスポーツを超えた」偉大な出来事になるだろうと予見していた。
彼の脳裏には24年前に祖国で行われた第3回W杯で自分が優勝トロフィーを受け取った光景が浮かんでいたという。それは、南アフリカが悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)と決別し、ラグビーを通して国民の心がひとつになった歴史的な瞬間だったからだ。東京大会優勝はさらに差別撤廃への「大きな一歩」になると確信していると話してくれた。
アパルトヘイトが長く続いた南アフリカでは、英国発祥のラグビーは裕福な白人のためだけのスポーツだった。なに不自由ない白人の家庭で人種差別が当たり前という環境で育ったピナール青年もそう思っていた。だが、反アパルトヘイト運動で27年間投獄という絶望の淵から奇跡的に蘇った同国初の黒人大統領マンデラ氏と対面し、その謙虚さと強固な信念に心を打たれた。
その日から、大統領の支援を受けながら、主将として黒人選手も交えたチームを作り上げ、95年のW杯決勝で世界最強といわれたニュージーランドの「オールブラックス」を破った。肌の色や民族など関係なく、汗だくのジャージがもみくちゃになった。その光景を南アフリカ国民だけでなく世界各国の人々が歓喜の声をあげて目撃したのだ。
表彰式でマンデラ大統領が身につけていたのはスプリングボクスの緑のジャージ。その背番号はなんとピナール主将と同じ背番号「6」番だった。そして今回、伝統あるチーム初の黒人の主将となったシヤ・コリシ選手の背番号も栄光の「6」番だ。こうして伝説は継承されていくのだ。スポーツには人々を結びつける力がある。
「人種なんて、関係ない」「成功するために大切なのは、どこから始めるのではなく、どれだけ高く目標を定めるかである」 それがマンデラ大統領から教えられたことだとピナール氏は回想する。差別意識は誰にでもある。それを乗り越えられる確信を持つことだと。獄中で故マンデラ氏の不屈の精神を支えたのは英詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「インビクタス(負けざる者)」にある次の一節だったという。
「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり」
別れ際に振り返ったピナール氏の笑顔にマンデラ大統領の顔が重なって見えた気がした。
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